糸山英太郎16才の少女強制ワイセツをした、という記事が週刊誌に載った。16才の少女を、自宅で毎週末に行うテニスに誘い、その後その子供だけを残し朝まで強姦した、という内容だった。
 実はこの話は私のところへも来た。私は「直接本人と親から話をきけること、それに警察に被害届けを出すこと」が条件でないと動けないと話した。本当はその予定だった。
糸山英太郎

 糸山のように札束で頬っぺたを叩くような、庶民を小馬鹿にするクソ野郎(いや15万円というからケチ野郎)は大嫌いである。この事件を徹底的に叩いて、糸山をブタ箱にブチ込んでやろうと密かに計画を立てていた。
 ところが話をきいた同和の1人が金にしようと企んだのか、抜け駆け行動に出たらしい。そこでこずるい糸山が先手を打って「ヤクザに恐喝されている」と被害届けを出して、自分の犯罪を摩り替えてしまったのだ。実際はヤクザを騙る同和とその仲間だったようだが、糸山の犯罪を知ってそのネタを飯の種にしようとした輩が悪いのか、あるいは糸山の犯罪がより重いのか、意見は別れるところだろう。しかし1度の週刊誌ネタで終ってしまったところが気になる。

 関係者によると、飯の種にしようとした輩に「これ以上やるとパクるぞ」と警察から脅しが入って、輩が手を引いた、との話らしいが、問題は糸山のクソ野郎のことである。
 強姦罪は親告罪で、女性側からの訴えがなければ受理しない、というのが今までの法律だったが、2年前から18才未満の女性に対しては買春も含めて、男側は無条件逮捕ではなかったのか。
 何故糸山は逮捕されないのか。法は平等に扱われているのか。金持ちや権力者に優遇されていないか。この事件を見る限り、どこか「さじ加減」を感じる。

外国人犯罪摘発に力を入れる石原都知事に拍手を送りたい。多くの都民、国民が石原都知事の勇気ある発言と英断に「YES」と内心は思っているのだ。

 口べたな日本人は人前で言葉には出せないが、失言ギリギリの発言を都知事がしても批判しない。どんなにマスコミがあおっても平然としている。並みの政治家ならもう何回辞任しているかわからない。マスコミも庶民の反応を見ているので、あおっても国民がのってくる気配がなければ、それで終りなのだ。石原さんなら許せる、ではなく「石原さんが実行している数々の成果に比べれば、たいした失言ではない」と都民が評価しているのだ。

 オーバーステイや密航に対する取締り強化が効を奏している。しかし入管の情報漏れが必ずある。1万人の働く女が入れば1人や2人知り合いの女性もいるだろう。情が移れば知り合いの女性だけは助けてあげたい、という感情は日本人も韓国人も関係ない。男ならみな一緒である。

石原都知事

 ところがその職務を忘れた、たった1人への情が、外国で働く強者共の連係プレーのすごさを見せつけられるのである。
 一言千里を走る、一瞬のうちに店仕舞いするのである。まぁ、これも愛嬌である。25万人ぐらいいると言われるオーバーステイを全て一晩で捕まえても留置場もないわけだし、第一貧しいから働きに来てることがわかっているのに片端から捕まえるのも可哀相。
 ある程度稼いだ女や、アニータみたいな日本男児をなめまくってるような女は1日も早く捕まえなきゃいけないが、ブローカーに高い金を払って出稼ぎにきて元も取れないうちに追い返されたんでは本当に可哀相だ。
 本当にこの問題に取組むなら、こんないたちごっこするより「オーバーステイはみんな出てきなさい。3年間は働いていいですよ。その代わり、税金をちゃんと払って下さい。そして3年経ったら一度自国へ帰って、今度来る時はちゃんと就労ビザで来なきゃ駄目ですよ」と呼び掛けたら、3日で全員出てくるだろう。
 堂々と働けることで外国人の犯罪は極端に減るだろう。その分犯罪者には今より数倍厳しく臨めばいい。

 ついこないだまで貧乏だった日本も、外国へ出稼ぎに行って色々な国に助けられたと思う。今のオーバーステイ者みたいに、彼の国で嫌われ者だったかもしれない。
 靖国神社の首相参拝や教科書問題でとやかく言われることはないが、一所懸命働いてその殆どを家族に仕送りする姿は、つい戦後の日本の家族の姿とダブってしまって何とか助けてあげたいと思ってしまうのである。

日大の名物監督の一人に篠竹幹夫監督という人がいた。昨年定年退職と同時に規定通り監督業も引退されたのだが、この度めでたくアメリカンフットボールの殿堂入りをされた。

 私が監督と知り合ったのは20年以上も前である。国立府中大学を出てブラブラしていた頃、加納貢氏から声がかかった。篠竹監督に敵対する者がいて、それが国士舘のOBで、そのOBは国士舘のOBを全て押さえている奴だ、ということだった。私は、全くそのOBの名前を知らなかったし、若さもあって、「OB全てを押さえているというのは嘘だと思います。少なくとも、私は知りませんから。私がその人の敵になります」と加納氏に答えた。

 次の日、新宿で初めて篠竹監督とお会いした。当時の篠竹監督にはオーラが出ていた。動作の一つ一つにエネルギーがみなぎっていた。試合は連戦連勝、後に全て局長に出世する栗原、滝沢、鈴木、横山コーチ等が脇を固め、万全の組織だった。おそらく当時は日大一の実力監督だったろう。
篠竹元監督

 加納氏から「今日から篠竹について応援してやってくれ」と言われ、篠竹監督側近の1人になったのである。今ではすっかり伝説の人になった加納氏は、篠竹監督や森山先生、故竹田先生等が若い時には憧れの、不良学生のスターだったらしい。

 かくして篠竹氏からの私の最初の仕事は、国士舘大学OBを全て押さえている人との掛け合いから始まったのである。結論からいうと、その人自身は実在したのだが、全てのOBを押さえてしまう程の人など元よりいる訳がなく、しかも篠竹氏と敵対した人はその本人ではなく、その人の兄という人で国士舘は全く関係のない話だった。
 篠竹氏のエネルギーのある超特大大ボラと思い込みの激しい性癖を全く知らない当時である。相手が自衛隊に強いから機関銃を持って乗り込んでくる、戦車でくるかもしれない、いやジェット機で爆弾を落とす可能性がある。

 まさかと思いながらも、毎日会うたび言われると、私自身も少し被害妄想の気があるらしく、一緒になって日本刀を持ち歩いたり、「学生を巻き込んだらいけないので、いざとなったら2人だけで戦おう」と言って、グラウンドのあっちこっちに武器として鉄パイプを埋めて、戦闘準備完了、とやった日も今はなつかしい。
 相手から話をよく聞いたら、監督と相手の腕自慢から始まって、全てが日本一じゃないと満足しない篠竹監督に対して、「うちの弟の方が強い」という禁句を発したのが逆鱗にふれた、というのが真相だった。栄華を誇った篠竹監督も晩年はコーチ陣の引退や大病もあって連戦連敗が続き、生涯監督の夢は破れた。もう長くお会いしていないが、噂では灯台下暗しというのか、身の回りで裏切りや女難もあるという。

 日大には超一流名物監督が多くいた。篠竹監督を始め水泳の古橋広之進先生、体操の遠藤幸雄先生、スキーの八木裕四郎先生、ゴルフの竹田昭夫先生、相撲の田中英寿先生等である。この中で現役で残っている先生は田中先生1人になってしまった。
 こういう人達の指導を受けて今もオリンピック候補生達は育っている。これが伝統なのである。今、日本人は伝統を持たない、伝統の持つ深さがわからないアメリカの合理主義を満喫しているが、合理主義の良さを学びながらも伝統の意義深さも見直す時期にきているのである。

 
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